トルコの旅 イスタンブール4-1 ― 2005年09月01日 04時39分11秒
イスタンブール4で紹介したリシュテムパシャ・ジャミィの追記です。
モスクの証明はどのようにつるされているのか?
という質問が知り合いからあったのでアップしときます。
モスクのドームのアップ
ドームのあちらこちらから無数のワイヤーが出ているのがわかっていただけるでしょうか。
昨日掲載した写真を見ていただくとわかるかもしれませんが、燭台はかなり低い位置にぶら下がっています。
これは照明にろうそくを用いていたころの名残でしょうね。
あまり高い位置に燭台があってはろうそくを着火するのも大変でしょうし、何より床を照らすのによりたくさんのろうそくが必要になるからでしょうね。
暇つぶしにワイヤーの数を数えてみようとしましたが、すぐに断念。
あまりに数が多すぎます。
そういえばほかの国のモスクでは照明がどうなっていたっけ?と思って写真を確認したのですが、判別できる写真がありません。
どうだったけ?
モスクの証明はどのようにつるされているのか?
という質問が知り合いからあったのでアップしときます。

モスクのドームのアップ
ドームのあちらこちらから無数のワイヤーが出ているのがわかっていただけるでしょうか。
昨日掲載した写真を見ていただくとわかるかもしれませんが、燭台はかなり低い位置にぶら下がっています。
これは照明にろうそくを用いていたころの名残でしょうね。
あまり高い位置に燭台があってはろうそくを着火するのも大変でしょうし、何より床を照らすのによりたくさんのろうそくが必要になるからでしょうね。
暇つぶしにワイヤーの数を数えてみようとしましたが、すぐに断念。
あまりに数が多すぎます。
そういえばほかの国のモスクでは照明がどうなっていたっけ?と思って写真を確認したのですが、判別できる写真がありません。
どうだったけ?
アサブロ正式版リリース!! ― 2005年09月01日 12時20分48秒
このページ、昨日まではβ版とのことだったのですが、昨晩に正式版がリリースされたそうです。
まあ「たまご」がブログをはじめたのも実はβ版というのが大きかったのです。
初めてのブログ挑戦ですし、わからないことだらけ。
なら、まだできたばかりでシンプルなものなら参加できるのでは?
と思ってはじめました。
なれるうちにいろいろ機能が増えていけばやり易いんじゃないだろうかと考えたのもあります。
トラックバックさせていただいたページはこのアサブロの開発者のブログ
覗いてみるといろんな意見がコメントに書かれています。
で、感じたのは・・・
皆さん、ほかのブログ会社からの乗換えが多いんですかね?
意見がシビア、シビア
ほかのブログを使用した経験がないとかけないような意見がバンバン書き込まれてます。
ああなればいいのに、こういう機能がほしい。
いろんな意見があります。
読んでいてもなるほどなと思う反面、ブログ初心者としてはできうる限りシンプルであってほしいとも感じてしまいます。
今ある他社のサービスと比較するのは良いのですが、アサブロらしいシンプルなものを開発して言ってほしいなと感じました。
私にとってのアサブロの現在最大の不満は・・・
掲載可能な画像のサイズ制限かな?
もう少し大きな画像で自動サムネイルがほしいです。
今はHTMLタグで別サーバーの画像を参照しているので
まあゆっくりでいいので良いサービスに育ててください。
まあ「たまご」がブログをはじめたのも実はβ版というのが大きかったのです。
初めてのブログ挑戦ですし、わからないことだらけ。
なら、まだできたばかりでシンプルなものなら参加できるのでは?
と思ってはじめました。
なれるうちにいろいろ機能が増えていけばやり易いんじゃないだろうかと考えたのもあります。
トラックバックさせていただいたページはこのアサブロの開発者のブログ
覗いてみるといろんな意見がコメントに書かれています。
で、感じたのは・・・
皆さん、ほかのブログ会社からの乗換えが多いんですかね?
意見がシビア、シビア
ほかのブログを使用した経験がないとかけないような意見がバンバン書き込まれてます。
ああなればいいのに、こういう機能がほしい。
いろんな意見があります。
読んでいてもなるほどなと思う反面、ブログ初心者としてはできうる限りシンプルであってほしいとも感じてしまいます。
今ある他社のサービスと比較するのは良いのですが、アサブロらしいシンプルなものを開発して言ってほしいなと感じました。
私にとってのアサブロの現在最大の不満は・・・
掲載可能な画像のサイズ制限かな?
もう少し大きな画像で自動サムネイルがほしいです。
今はHTMLタグで別サーバーの画像を参照しているので
まあゆっくりでいいので良いサービスに育ててください。
トルコの旅 イスタンブール5 ― 2005年09月02日 06時31分04秒
イスタンブールに行ったならここだけは押さえてほしい
それがイスタンブール新市街にあるガラタ・メブラーナ博物館です。
正直、博物館としての価値はあんまりありません。
ここで見るべきものはセマー(旋舞)です。
スーフィーと呼ばれるイスラム神秘主義の一派であるメブラーナ教団による祈りの舞です。
メブラーナ教団の長であったルーミーの言葉の後に行われるこの音楽と舞は美しく、荘厳でなんとしても見ておくことを薦めます。
もちろんセマーもすばらしかったのですが、開始に際して語られるルーミーの言葉が素直に響いてきました。
自分でもメモったのですが英語だったし、間違いがあるといけないのでその内容については下記リンクを参照ください。
ページの最初の言葉とその解説がセマー開始前に行われていました。
ルーミーの言葉
このセマー、本来は男性が行うものなのですが、ここにはメブラーナの音楽学校があるそうで、その女生徒たちもセマーを行います。
メブラーナの本拠地ともいえるトルコの都市コンヤでは男性のみなんでしょうか?
実は、メブラーナの大きなお祭りがあるというのでせっかくだから行ってみようかと思ったのですが・・・
チケット、一切入手できずあきらめた経緯があります。
どなたかご存知でしたら教えてください。
ぜひ訪れてほしいメブラーナ博物館のセマーですが、開催はつきに4回程度。
観光シーズンにはチケットの入手が困難です。
一ヶ月前から発売されているので、トルコに来たらすぐにチケットを押さえた上で、他の町や遺跡を観光することを勧めます。
また、セマーを行うセマーゼンが男性のみの回、女性も行う回がありますのでチケットを買う際は気をつけてください。
たまごが見に行ったのは2月も半ばすぎ、雪の残る寒い日でした。
でもチケットはソールドアウト。
前日チケットを買おうとした人は買えませんでした。
さむーい中、暖房もない会場は非常に冷えており待つ間は大変でしたが、始まってからはあっという間。
気がついたら衣擦れの音とともにセマーゼンが会場から出て行くところでした。
会場から出るころに体が冷え切っていることにやっと気づき、すぐに安食堂に飛び込んで、
「おっちゃん、熱いスープ」と叫んでいました。
このスーフィー
実はいろんな国でこれから見ることになるのですが、それはまたのお話。
それがイスタンブール新市街にあるガラタ・メブラーナ博物館です。
正直、博物館としての価値はあんまりありません。
ここで見るべきものはセマー(旋舞)です。

スーフィーと呼ばれるイスラム神秘主義の一派であるメブラーナ教団による祈りの舞です。
メブラーナ教団の長であったルーミーの言葉の後に行われるこの音楽と舞は美しく、荘厳でなんとしても見ておくことを薦めます。
もちろんセマーもすばらしかったのですが、開始に際して語られるルーミーの言葉が素直に響いてきました。
自分でもメモったのですが英語だったし、間違いがあるといけないのでその内容については下記リンクを参照ください。
ページの最初の言葉とその解説がセマー開始前に行われていました。
ルーミーの言葉

このセマー、本来は男性が行うものなのですが、ここにはメブラーナの音楽学校があるそうで、その女生徒たちもセマーを行います。
メブラーナの本拠地ともいえるトルコの都市コンヤでは男性のみなんでしょうか?
実は、メブラーナの大きなお祭りがあるというのでせっかくだから行ってみようかと思ったのですが・・・
チケット、一切入手できずあきらめた経緯があります。
どなたかご存知でしたら教えてください。

ぜひ訪れてほしいメブラーナ博物館のセマーですが、開催はつきに4回程度。
観光シーズンにはチケットの入手が困難です。
一ヶ月前から発売されているので、トルコに来たらすぐにチケットを押さえた上で、他の町や遺跡を観光することを勧めます。
また、セマーを行うセマーゼンが男性のみの回、女性も行う回がありますのでチケットを買う際は気をつけてください。
たまごが見に行ったのは2月も半ばすぎ、雪の残る寒い日でした。
でもチケットはソールドアウト。
前日チケットを買おうとした人は買えませんでした。
さむーい中、暖房もない会場は非常に冷えており待つ間は大変でしたが、始まってからはあっという間。
気がついたら衣擦れの音とともにセマーゼンが会場から出て行くところでした。
会場から出るころに体が冷え切っていることにやっと気づき、すぐに安食堂に飛び込んで、
「おっちゃん、熱いスープ」と叫んでいました。
このスーフィー
実はいろんな国でこれから見ることになるのですが、それはまたのお話。
トルコの旅 イスタンブール6 ― 2005年09月03日 10時06分06秒
宿で一緒になった人たちとビザを取りに行ったときのこと。
お昼時だし飯でも食うかということで食堂を探してうろうろしていると
いきなり違和感のあるのものが飛び込んでくる。
おもちゃ?
と一瞬思ったが、よく見るとケーキらしい。
うーんシュールだ。
でも子供たちは喜びそうだね。
ミッ●ーマ●スもどきもいるみたいだし、サッカー場見たいのもあるし。
まああくまでもディスプレイ向けのものならありかな
うん、まあこれなら食えそうだ。
明らかに生クリームではなくバタークリームだが一口はいけるだろう。
ただ、トルコの菓子類は日本の常識から考えると信じがたいぐらい
甘い!!ため一口でも撃沈する可能性があるが・・・
いったい誰が買うんだろうなと考えてショーウィンドーを眺めていると衝撃的な物体が!!
トルコの市民はこれを食うことができるのか?
いや、その前にこれは食いもんの範疇を微妙に超えてないか?
明らかに食い物ではないものがめり込んでいるし。
非常な衝撃を受けたものの、よくよく観察してみると販売しているお菓子のほとんどは一般的なトルコのお菓子であった、
まあ、そうだよなこんなもん買うやついないよな、と考え店をあとにした。
後日、別の用事でこの店を通りかかり、ふと聞いてみた。
「これって本当に売りもん? 買う人いるの?」
怖い話だが、買う人は結構いるらしい。
あの衝撃的なやつも何回か作っているといっていた。
お昼時だし飯でも食うかということで食堂を探してうろうろしていると
いきなり違和感のあるのものが飛び込んでくる。

おもちゃ?
と一瞬思ったが、よく見るとケーキらしい。
うーんシュールだ。
でも子供たちは喜びそうだね。
ミッ●ーマ●スもどきもいるみたいだし、サッカー場見たいのもあるし。
まああくまでもディスプレイ向けのものならありかな

うん、まあこれなら食えそうだ。
明らかに生クリームではなくバタークリームだが一口はいけるだろう。
ただ、トルコの菓子類は日本の常識から考えると信じがたいぐらい
甘い!!ため一口でも撃沈する可能性があるが・・・
いったい誰が買うんだろうなと考えてショーウィンドーを眺めていると衝撃的な物体が!!
トルコの市民はこれを食うことができるのか?
いや、その前にこれは食いもんの範疇を微妙に超えてないか?
明らかに食い物ではないものがめり込んでいるし。
非常な衝撃を受けたものの、よくよく観察してみると販売しているお菓子のほとんどは一般的なトルコのお菓子であった、
まあ、そうだよなこんなもん買うやついないよな、と考え店をあとにした。
後日、別の用事でこの店を通りかかり、ふと聞いてみた。
「これって本当に売りもん? 買う人いるの?」
怖い話だが、買う人は結構いるらしい。
あの衝撃的なやつも何回か作っているといっていた。
激甘?!中東のお菓子たち1 ― 2005年09月03日 15時23分20秒
ケーキ屋さんの話に触れたので中東のお菓子の思い出をつらつらと
実は旅の半ばくらいまでは中東の菓子があまり好きではなかった。
最初に食べたレストランのお菓子があまりにも甘かったせいである。
トルンバと聞こえたお菓子は、油で揚げたドーナッツを蜜に浸したような感じで、そんなに大きくないのに頭に響くかのような甘さであった。
実は中東のお菓子が好きになったのはイスタンブールを離れてから。
これはトルコのアイスクリームを食べにカフラマンマラシュという街に出かけたときの一枚
中東のお菓子には抵抗があったが、ドンドルマ(のびーるアイス)は大好き。
そのアイスの総本山があると聞いたから、本来の旅のルート離れ、8時間近い道草をしてアイスを食べに行った。
まあアイスだけというのもなんなんで、当時唯一名前を覚えてたお菓子のバクラバもいっしょに頼んでみた。
アイスなのにスプーンがありません。
あんまりにも”もっちり感”が強いのでナイフとフォークで戴くようです。
恐る恐る食べてみると
すげーうまい!!(喜)
でもびっくりしたのがバクラバもすごくおいしい!!
ドンドルマもおいしかったのですが、バクラバがうまいということに気づいたことこのことの方がある意味衝撃的でした。
「実は、うまい店がある!」
この事実の発見は以後の旅における甘味どころ探索を始めるきっかけとなりました。
実は旅の半ばくらいまでは中東の菓子があまり好きではなかった。
最初に食べたレストランのお菓子があまりにも甘かったせいである。
トルンバと聞こえたお菓子は、油で揚げたドーナッツを蜜に浸したような感じで、そんなに大きくないのに頭に響くかのような甘さであった。
実は中東のお菓子が好きになったのはイスタンブールを離れてから。

これはトルコのアイスクリームを食べにカフラマンマラシュという街に出かけたときの一枚
中東のお菓子には抵抗があったが、ドンドルマ(のびーるアイス)は大好き。
そのアイスの総本山があると聞いたから、本来の旅のルート離れ、8時間近い道草をしてアイスを食べに行った。
まあアイスだけというのもなんなんで、当時唯一名前を覚えてたお菓子のバクラバもいっしょに頼んでみた。
アイスなのにスプーンがありません。
あんまりにも”もっちり感”が強いのでナイフとフォークで戴くようです。
恐る恐る食べてみると
すげーうまい!!(喜)
でもびっくりしたのがバクラバもすごくおいしい!!
ドンドルマもおいしかったのですが、バクラバがうまいということに気づいたことこのことの方がある意味衝撃的でした。
「実は、うまい店がある!」
この事実の発見は以後の旅における甘味どころ探索を始めるきっかけとなりました。
激甘?!中東のお菓子たち2 ― 2005年09月04日 07時00分44秒
カフラマンマラシュでバクラバにはまった後、どの街にたどり着いても食後の散歩とお菓子屋さんでのお茶とお菓子の日々が始まる。
最初にはまったのがバクラバ。
これは胡桃をはさんださくさくのパイにたっぷりと蜜をしみこませたもの。
広く中東で見ることができ、エジプトからイランまでほとんどの国で見ることができた。
次いではまったのがシリアのハマロール(通称:正式名称不明)
5日間くらい毎日食べてたのですが写真がない。
仕方がないので詳しい説明と写真のあるページにご案内!
こちらがそのページ
ハマロールは本当に不思議な食感でした。
次いではまったのがオスマリーエ・ピスターシュ
これが正確な名前かどうかもわからないのですが、シリアではこれで通じました。
実はこれもまともな写真がありません。
本当に何のためにデジカメ持っていったんだか。
しょうがないのでこんな写真を掲載
この左下に少し写っているのが問題の物
どんなものか説明すると
ピスタッチオの周りをそうめんのような細いひも状の生地でまとめて、焼き上げた(揚げたのかも)後に蜜に浸したもの。
わかりにくいので説明案2
海苔巻きの具がピスタチオ、で酢飯とのりがそうめん状の生地。
これがもうカリカリ・サクサクと香ばしく、蜜の甘さも適度で旨い事。
最後のころには㌔でかって周りの旅人にも振舞ったりもしました。
最初にはまったのがバクラバ。
これは胡桃をはさんださくさくのパイにたっぷりと蜜をしみこませたもの。
広く中東で見ることができ、エジプトからイランまでほとんどの国で見ることができた。
次いではまったのがシリアのハマロール(通称:正式名称不明)
5日間くらい毎日食べてたのですが写真がない。
仕方がないので詳しい説明と写真のあるページにご案内!
こちらがそのページ
ハマロールは本当に不思議な食感でした。
次いではまったのがオスマリーエ・ピスターシュ
これが正確な名前かどうかもわからないのですが、シリアではこれで通じました。
実はこれもまともな写真がありません。
本当に何のためにデジカメ持っていったんだか。

しょうがないのでこんな写真を掲載
この左下に少し写っているのが問題の物
どんなものか説明すると
ピスタッチオの周りをそうめんのような細いひも状の生地でまとめて、焼き上げた(揚げたのかも)後に蜜に浸したもの。
わかりにくいので説明案2
海苔巻きの具がピスタチオ、で酢飯とのりがそうめん状の生地。
これがもうカリカリ・サクサクと香ばしく、蜜の甘さも適度で旨い事。
最後のころには㌔でかって周りの旅人にも振舞ったりもしました。
テスト月間の開始 ― 2005年09月05日 18時12分23秒
さて、今日からテスト開始です。
科目はこちら
先生自作のパソコンくじを引いて鍼通電パルスを行う部位とテスト法が決定されるのですが、引いた部位が最悪・・・orz
テスト法は外反テスト・・・・これは簡単・簡単
パルスは腰方形筋・・・・・・こっちが難しい
腰方形筋は後腹筋に分類される筋で腰椎の両側にある。
背中側から見ると脊柱起立筋のさらに奥にあり非常にわかりにくい。
ここに上手に刺して電気を流し、うまく筋を動かす必要がある。
特に難しいのが後確認
つまりは目的の筋が動いているかどうかの確認
まあ、これもあせらなければこれも難しいというほどでもないのですが・・・
そこは試験
わずか3分程度という時間制限が私を襲ってくるのです。
いや腰方形筋は非常に重要なんですよ。
腰痛の患者さんにはよく用いる手技なんですが試験ではあたりたくなかったです。
結果は・・・わかるのはもう少し先です。
多分大丈夫だと思うのですが・・・・
さて明日からは学科試験
と思ったら、台風の影響で明日は中止とのこと
ちょっとほっとするとともに気が抜けた「たまご」でした
ちなみにあさって予定の試験初日は
解剖学・中医学・病理学のトリプルコンボ つらいです。
科目はこちら
先生自作のパソコンくじを引いて鍼通電パルスを行う部位とテスト法が決定されるのですが、引いた部位が最悪・・・orz
テスト法は外反テスト・・・・これは簡単・簡単
パルスは腰方形筋・・・・・・こっちが難しい
腰方形筋は後腹筋に分類される筋で腰椎の両側にある。
背中側から見ると脊柱起立筋のさらに奥にあり非常にわかりにくい。
ここに上手に刺して電気を流し、うまく筋を動かす必要がある。
特に難しいのが後確認
つまりは目的の筋が動いているかどうかの確認
まあ、これもあせらなければこれも難しいというほどでもないのですが・・・
そこは試験
わずか3分程度という時間制限が私を襲ってくるのです。
いや腰方形筋は非常に重要なんですよ。
腰痛の患者さんにはよく用いる手技なんですが試験ではあたりたくなかったです。
結果は・・・わかるのはもう少し先です。
多分大丈夫だと思うのですが・・・・
さて明日からは学科試験
と思ったら、台風の影響で明日は中止とのこと
ちょっとほっとするとともに気が抜けた「たまご」でした
ちなみにあさって予定の試験初日は
解剖学・中医学・病理学のトリプルコンボ つらいです。
アフガンで亡くなられたお二人について考える ― 2005年09月06日 00時05分01秒
アフガニスタンで邦人お二人が亡くなられました。
アフガニスタンを過去旅してきた自分にとっては他人事ではありません。
少しだけ思うことを書かせていただきます。
私が旅をしたのは、もう2年以上前になります。
アフガニスタン入出国 2003年5月17日~6月4日
治安の状況は今に比べると多少は良かったのではないかな?と考えます。
理由としては
①復興が始まりいろんな国から援助の人・もの・金が流れ込んでいたこと。
②新政権になって日が浅く、多くの人々が何らかの希望を持っていたこと。
③米軍がにらみを効かせることで地方軍閥を表向き抑えていたこと。
が挙げられます。
でも「たまご」はかなりびびってました。
だからパキスタンについてから同時期にアフガン入りをしそうな人を探していました。
一人よりは二人、二人よりは三人のほうが安全です。
結局、野郎が5人集まって国境を越えることになりました。
友人の作った情報ノートや各地の宿にある情報を集め、検討を行っていました。
結果、選んだのがペシャワールーカブールルート
亡くなられたお二人は、クエッターカンダハルルートだったようです。
何でこのルートなんだろ?
というのが第一印象でした。
自分が選ばなかったルートというのがありますが、少なくとも2003年時には10人旅人がいたら2人~3人しかこのルートを選ばなかったのではないでしょうか。
理由はいくつかあります。
①カンダハルはタリバンの本拠地とも言われるところで治安が悪い
②カンダハルからカブールまでは車で一日以上かかった(当時)
③バーミヤンに行くにも結局カブールを経由する必要がある。(当時)
④ペシャワールで時間をつぶし、一緒にアフガンに入るメンバーを探す旅人が多かった。
もちろんペシャワールーカブールルートにもデメリットはあります。
①パキスタン国内ではあるが一種の無法地帯であるトライバルエリアを抜けなければならない。(ここを抜ける間は武装警官がつく)
②トライバルエリアに入るときはパーミット(許可証)が必要。わざわざ事務所に申請に行かなくてはならない。
③ペシャワールではビザの取得が難しい。(日本大使館のレターが必要)
ここで可能性として思いつくことがあります。
ビザの取得です。
ペシャワールでは2003年ごろから日本大使館のレターなしにはビザが取得できなくなりました。
私がパキスタンに滞在していたときには治安上の問題等から大使館がレターを出してくれなくなってました。
このため、アフガンを目指した旅人の多くはレターの不要な、トルコの首都アンカラまたはクエッタで取得していました。
お二人もそうだったのではないでしょうか?
ただでさえ短い休みでの旅行。
ビザを取ったら即座に国境を越えるのもわかりますが・・・
クエッタでビザを取って、アフガンに入って、ペシャワールからパキスタンに戻るというルートだったのかもしれません。
多分このルートが時間的には最も効率的だったでしょう。
ただ、一緒に国境を越えてくれる人を見つける時間があれば良かったのにな、と感じてしまうんです。
これはお二人が訪れるであったろう、彼の地の写真です。
お二人のご冥福をお祈りいたします。
アフガニスタンを過去旅してきた自分にとっては他人事ではありません。
少しだけ思うことを書かせていただきます。
私が旅をしたのは、もう2年以上前になります。
アフガニスタン入出国 2003年5月17日~6月4日
治安の状況は今に比べると多少は良かったのではないかな?と考えます。
理由としては
①復興が始まりいろんな国から援助の人・もの・金が流れ込んでいたこと。
②新政権になって日が浅く、多くの人々が何らかの希望を持っていたこと。
③米軍がにらみを効かせることで地方軍閥を表向き抑えていたこと。
が挙げられます。
でも「たまご」はかなりびびってました。
だからパキスタンについてから同時期にアフガン入りをしそうな人を探していました。
一人よりは二人、二人よりは三人のほうが安全です。
結局、野郎が5人集まって国境を越えることになりました。
友人の作った情報ノートや各地の宿にある情報を集め、検討を行っていました。
結果、選んだのがペシャワールーカブールルート
亡くなられたお二人は、クエッターカンダハルルートだったようです。
何でこのルートなんだろ?
というのが第一印象でした。
自分が選ばなかったルートというのがありますが、少なくとも2003年時には10人旅人がいたら2人~3人しかこのルートを選ばなかったのではないでしょうか。
理由はいくつかあります。
①カンダハルはタリバンの本拠地とも言われるところで治安が悪い
②カンダハルからカブールまでは車で一日以上かかった(当時)
③バーミヤンに行くにも結局カブールを経由する必要がある。(当時)
④ペシャワールで時間をつぶし、一緒にアフガンに入るメンバーを探す旅人が多かった。
もちろんペシャワールーカブールルートにもデメリットはあります。
①パキスタン国内ではあるが一種の無法地帯であるトライバルエリアを抜けなければならない。(ここを抜ける間は武装警官がつく)
②トライバルエリアに入るときはパーミット(許可証)が必要。わざわざ事務所に申請に行かなくてはならない。
③ペシャワールではビザの取得が難しい。(日本大使館のレターが必要)
ここで可能性として思いつくことがあります。
ビザの取得です。
ペシャワールでは2003年ごろから日本大使館のレターなしにはビザが取得できなくなりました。
私がパキスタンに滞在していたときには治安上の問題等から大使館がレターを出してくれなくなってました。
このため、アフガンを目指した旅人の多くはレターの不要な、トルコの首都アンカラまたはクエッタで取得していました。
お二人もそうだったのではないでしょうか?
ただでさえ短い休みでの旅行。
ビザを取ったら即座に国境を越えるのもわかりますが・・・
クエッタでビザを取って、アフガンに入って、ペシャワールからパキスタンに戻るというルートだったのかもしれません。
多分このルートが時間的には最も効率的だったでしょう。
ただ、一緒に国境を越えてくれる人を見つける時間があれば良かったのにな、と感じてしまうんです。
これはお二人が訪れるであったろう、彼の地の写真です。


お二人のご冥福をお祈りいたします。
体壊れる→ダイエットの決意 ― 2005年09月07日 07時07分07秒
8月の中旬に膝を壊した。
もともと膝は悪かったのだが、ちょっとした無理が重なり腫れてしまった。
自分の判断では骨には異常なし。
外側側副靭帯、膝蓋軟骨あたりをやってしまったらしい。
半月板については、痛みのためすぐにはテスト法ができなかったが、症状が落ち着いてからやってみたら、何とか大丈夫そう。
ともかく安静にして、アイシングで急性炎症期をやり過ごした後、鍼と灸をしながら養生していた。
かなり膝に水がたまったが、抜くとかえって関節を痛めなおす可能性が高いのでそのままにしておいた。
膝眼という膝のお皿の下の両脇のくぼみが見えなくなる程度ではなく関節上胞というお皿の上(太もものほう)まで腫れる始末。
足を曲げれなくなり日常生活も送れないような状況。
ともかく安静にして水が引くのを待った。
2週間後、ある程度水が引き何とかなるかなと思ったら、逆の足首崩壊。
こっちも古傷ではあるのだが、痛むタイミングが悪い。
明日は実技テスト。(つまりは9月4日にやっちゃった)
ペアに迷惑をかけるわけもいかんから登校、テストを受けた。
無理をするからでしょう。
足首の状況は悪化。
さらに良くなりかけてた膝の状況も悪化。
本日の登校はあきらめました。
今日はテストなのに・・・・・
追試確定。
明日からは何とか学校に行こうと思ってます。
歩けないから車かな。
こうなったのもすべて私の不徳といたすところです。
そうです すべては私の体重に原因があるのです
ということで自分を追い込んでダイエットをしようと思います。
ただ、足が治んないと本格的にはできませんが。
現在というか、夏休み前の身長・体重
身長187.6cm
体重114.5kg
この巨体をゆっくりと絞っていきますので・・・・
ご期待ください。
もともと膝は悪かったのだが、ちょっとした無理が重なり腫れてしまった。
自分の判断では骨には異常なし。
外側側副靭帯、膝蓋軟骨あたりをやってしまったらしい。
半月板については、痛みのためすぐにはテスト法ができなかったが、症状が落ち着いてからやってみたら、何とか大丈夫そう。
ともかく安静にして、アイシングで急性炎症期をやり過ごした後、鍼と灸をしながら養生していた。
かなり膝に水がたまったが、抜くとかえって関節を痛めなおす可能性が高いのでそのままにしておいた。
膝眼という膝のお皿の下の両脇のくぼみが見えなくなる程度ではなく関節上胞というお皿の上(太もものほう)まで腫れる始末。
足を曲げれなくなり日常生活も送れないような状況。
ともかく安静にして水が引くのを待った。
2週間後、ある程度水が引き何とかなるかなと思ったら、逆の足首崩壊。
こっちも古傷ではあるのだが、痛むタイミングが悪い。
明日は実技テスト。(つまりは9月4日にやっちゃった)
ペアに迷惑をかけるわけもいかんから登校、テストを受けた。
無理をするからでしょう。
足首の状況は悪化。
さらに良くなりかけてた膝の状況も悪化。
本日の登校はあきらめました。
今日はテストなのに・・・・・
追試確定。
明日からは何とか学校に行こうと思ってます。
歩けないから車かな。
こうなったのもすべて私の不徳といたすところです。
そうです すべては私の体重に原因があるのです
ということで自分を追い込んでダイエットをしようと思います。
ただ、足が治んないと本格的にはできませんが。
現在というか、夏休み前の身長・体重
身長187.6cm
体重114.5kg
この巨体をゆっくりと絞っていきますので・・・・
ご期待ください。
激甘?! 中東のお菓子3 レシピリンクつき ― 2005年09月07日 18時01分08秒
旅も半ばを過ぎるとどっぷりと原地の味覚にはまり込むようになる。
かく言う「たまご」とて同じ。
店に入り、たっぷりと砂糖の使われたお菓子に舌鼓をうち。
さらにびっくりするぐらい砂糖の入ったチャイを飲む。
当初からは信じられないような変化である。
中東の男性には甘党が多く、1キロのバクラバすら2人いればすぐなく
なると言われるが、まさか自分がそうなるとは思いもしなかった。
でもケーキはやはり甘すぎるのやバタークリームの奴は嫌。
中東ではおいしいケーキ屋さん探しも結構大変である。
特においしかったケーキ屋としては、
シリアの首都、ダマスカスにあるアポロ
エジプトの首都、カイロにあるエル・アブドがあげられる。
これはアポロのケーキたち。
どのケーキも本当においしく、イチゴを使ったケーキが本当においしい。
びっくりするのは左端のサバラン
サバランはスポンジの生地をお酒の入った蜜に浸したケーキだと思ったのですが・・・ここはシリア
イスラムの国ですからお酒を使ってるとは思えないのですが、非常においしかったです。
アポロの店員たち。
ボッタクルことは一切せずに、言葉はあまり通じなくともいい人たちでした。
ケーキがうまいと言うと本当にうれしそうに、誇らしそうにしていました。
このアポロは洋菓子一本の店なのに対して、エル・アブドはケーキ、中東菓子、アイスクリームと取り揃えていました。
ケーキもおいしかったのですが、時折バクラバを買っていました。
そういえば触れてませんでしたが、中東のお菓子の販売単位は㌔。
状況に応じて1/2㌔や1/4㌔で購入していました。
最初はちびちび買ってたんですが、最後はもうほとんど㌔買い。
中東菓子中毒状態でした。
帰国しても時折、「バクラバくいてー!!」となるのですが、どこにも売ってません。
トルコ料理屋などに行けばあるのですが、甘さ控えめで量も少ない。
いっそ作るか?
と思っても肝心のパイ皮のもととなるユフカは日本にはない
春巻きの皮で代用?と考えたがちょっと厚い。
でも探せばあるものです。
日本在住、トゥライさんの作るトルコ料理レシピ集。
もちろんバクラバも日本で手に入る材料で載ってます。
そのほかにも多くのトルコ料理のレシピがあるのでごらんになってみてください。
おいしく作ることができます。
ストゥラッチ(トルコのライスプディング)のレシピも載っているので今度はこれを作ろうかと思います。
かく言う「たまご」とて同じ。
店に入り、たっぷりと砂糖の使われたお菓子に舌鼓をうち。
さらにびっくりするぐらい砂糖の入ったチャイを飲む。
当初からは信じられないような変化である。
中東の男性には甘党が多く、1キロのバクラバすら2人いればすぐなく
なると言われるが、まさか自分がそうなるとは思いもしなかった。
でもケーキはやはり甘すぎるのやバタークリームの奴は嫌。
中東ではおいしいケーキ屋さん探しも結構大変である。
特においしかったケーキ屋としては、
シリアの首都、ダマスカスにあるアポロ
エジプトの首都、カイロにあるエル・アブドがあげられる。

これはアポロのケーキたち。
どのケーキも本当においしく、イチゴを使ったケーキが本当においしい。
びっくりするのは左端のサバラン
サバランはスポンジの生地をお酒の入った蜜に浸したケーキだと思ったのですが・・・ここはシリア
イスラムの国ですからお酒を使ってるとは思えないのですが、非常においしかったです。

アポロの店員たち。
ボッタクルことは一切せずに、言葉はあまり通じなくともいい人たちでした。
ケーキがうまいと言うと本当にうれしそうに、誇らしそうにしていました。
このアポロは洋菓子一本の店なのに対して、エル・アブドはケーキ、中東菓子、アイスクリームと取り揃えていました。
ケーキもおいしかったのですが、時折バクラバを買っていました。
そういえば触れてませんでしたが、中東のお菓子の販売単位は㌔。
状況に応じて1/2㌔や1/4㌔で購入していました。
最初はちびちび買ってたんですが、最後はもうほとんど㌔買い。
中東菓子中毒状態でした。
帰国しても時折、「バクラバくいてー!!」となるのですが、どこにも売ってません。
トルコ料理屋などに行けばあるのですが、甘さ控えめで量も少ない。
いっそ作るか?
と思っても肝心のパイ皮のもととなるユフカは日本にはない
春巻きの皮で代用?と考えたがちょっと厚い。
でも探せばあるものです。

日本在住、トゥライさんの作るトルコ料理レシピ集。
もちろんバクラバも日本で手に入る材料で載ってます。
そのほかにも多くのトルコ料理のレシピがあるのでごらんになってみてください。
おいしく作ることができます。
ストゥラッチ(トルコのライスプディング)のレシピも載っているので今度はこれを作ろうかと思います。
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