アフガンで亡くなられたお二人について考える ― 2005年09月06日 00時05分01秒
アフガニスタンで邦人お二人が亡くなられました。
アフガニスタンを過去旅してきた自分にとっては他人事ではありません。
少しだけ思うことを書かせていただきます。
私が旅をしたのは、もう2年以上前になります。
アフガニスタン入出国 2003年5月17日~6月4日
治安の状況は今に比べると多少は良かったのではないかな?と考えます。
理由としては
①復興が始まりいろんな国から援助の人・もの・金が流れ込んでいたこと。
②新政権になって日が浅く、多くの人々が何らかの希望を持っていたこと。
③米軍がにらみを効かせることで地方軍閥を表向き抑えていたこと。
が挙げられます。
でも「たまご」はかなりびびってました。
だからパキスタンについてから同時期にアフガン入りをしそうな人を探していました。
一人よりは二人、二人よりは三人のほうが安全です。
結局、野郎が5人集まって国境を越えることになりました。
友人の作った情報ノートや各地の宿にある情報を集め、検討を行っていました。
結果、選んだのがペシャワールーカブールルート
亡くなられたお二人は、クエッターカンダハルルートだったようです。
何でこのルートなんだろ?
というのが第一印象でした。
自分が選ばなかったルートというのがありますが、少なくとも2003年時には10人旅人がいたら2人~3人しかこのルートを選ばなかったのではないでしょうか。
理由はいくつかあります。
①カンダハルはタリバンの本拠地とも言われるところで治安が悪い
②カンダハルからカブールまでは車で一日以上かかった(当時)
③バーミヤンに行くにも結局カブールを経由する必要がある。(当時)
④ペシャワールで時間をつぶし、一緒にアフガンに入るメンバーを探す旅人が多かった。
もちろんペシャワールーカブールルートにもデメリットはあります。
①パキスタン国内ではあるが一種の無法地帯であるトライバルエリアを抜けなければならない。(ここを抜ける間は武装警官がつく)
②トライバルエリアに入るときはパーミット(許可証)が必要。わざわざ事務所に申請に行かなくてはならない。
③ペシャワールではビザの取得が難しい。(日本大使館のレターが必要)
ここで可能性として思いつくことがあります。
ビザの取得です。
ペシャワールでは2003年ごろから日本大使館のレターなしにはビザが取得できなくなりました。
私がパキスタンに滞在していたときには治安上の問題等から大使館がレターを出してくれなくなってました。
このため、アフガンを目指した旅人の多くはレターの不要な、トルコの首都アンカラまたはクエッタで取得していました。
お二人もそうだったのではないでしょうか?
ただでさえ短い休みでの旅行。
ビザを取ったら即座に国境を越えるのもわかりますが・・・
クエッタでビザを取って、アフガンに入って、ペシャワールからパキスタンに戻るというルートだったのかもしれません。
多分このルートが時間的には最も効率的だったでしょう。
ただ、一緒に国境を越えてくれる人を見つける時間があれば良かったのにな、と感じてしまうんです。
これはお二人が訪れるであったろう、彼の地の写真です。
お二人のご冥福をお祈りいたします。
アフガニスタンを過去旅してきた自分にとっては他人事ではありません。
少しだけ思うことを書かせていただきます。
私が旅をしたのは、もう2年以上前になります。
アフガニスタン入出国 2003年5月17日~6月4日
治安の状況は今に比べると多少は良かったのではないかな?と考えます。
理由としては
①復興が始まりいろんな国から援助の人・もの・金が流れ込んでいたこと。
②新政権になって日が浅く、多くの人々が何らかの希望を持っていたこと。
③米軍がにらみを効かせることで地方軍閥を表向き抑えていたこと。
が挙げられます。
でも「たまご」はかなりびびってました。
だからパキスタンについてから同時期にアフガン入りをしそうな人を探していました。
一人よりは二人、二人よりは三人のほうが安全です。
結局、野郎が5人集まって国境を越えることになりました。
友人の作った情報ノートや各地の宿にある情報を集め、検討を行っていました。
結果、選んだのがペシャワールーカブールルート
亡くなられたお二人は、クエッターカンダハルルートだったようです。
何でこのルートなんだろ?
というのが第一印象でした。
自分が選ばなかったルートというのがありますが、少なくとも2003年時には10人旅人がいたら2人~3人しかこのルートを選ばなかったのではないでしょうか。
理由はいくつかあります。
①カンダハルはタリバンの本拠地とも言われるところで治安が悪い
②カンダハルからカブールまでは車で一日以上かかった(当時)
③バーミヤンに行くにも結局カブールを経由する必要がある。(当時)
④ペシャワールで時間をつぶし、一緒にアフガンに入るメンバーを探す旅人が多かった。
もちろんペシャワールーカブールルートにもデメリットはあります。
①パキスタン国内ではあるが一種の無法地帯であるトライバルエリアを抜けなければならない。(ここを抜ける間は武装警官がつく)
②トライバルエリアに入るときはパーミット(許可証)が必要。わざわざ事務所に申請に行かなくてはならない。
③ペシャワールではビザの取得が難しい。(日本大使館のレターが必要)
ここで可能性として思いつくことがあります。
ビザの取得です。
ペシャワールでは2003年ごろから日本大使館のレターなしにはビザが取得できなくなりました。
私がパキスタンに滞在していたときには治安上の問題等から大使館がレターを出してくれなくなってました。
このため、アフガンを目指した旅人の多くはレターの不要な、トルコの首都アンカラまたはクエッタで取得していました。
お二人もそうだったのではないでしょうか?
ただでさえ短い休みでの旅行。
ビザを取ったら即座に国境を越えるのもわかりますが・・・
クエッタでビザを取って、アフガンに入って、ペシャワールからパキスタンに戻るというルートだったのかもしれません。
多分このルートが時間的には最も効率的だったでしょう。
ただ、一緒に国境を越えてくれる人を見つける時間があれば良かったのにな、と感じてしまうんです。
これはお二人が訪れるであったろう、彼の地の写真です。


お二人のご冥福をお祈りいたします。
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