パキスタンの旅 国境からクエッタ2005年10月15日 15時45分59秒


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管理人の義援金に対しての考え&対応については”こちら”にございます。

パキスタンの旅、どこから書こうかも迷ったのですが、やっぱり入国から順を追って書いていこうと思います。

パキスタンに入国したのは忘れることはない2003年3月20日
見ていただいてる方の記憶にはないかもしれませんが、イラクにアメリカの連合軍が進攻した日です。



イランのザヘダン~パキスタンのクエッタまで同行したパキスタン人3人組
彼らは本当に親切にしてくれました。
国境のボーダーまで、一緒にピックアップトラックをシェアしました。
早朝のラジオが流れる車の中、それまで温厚だった運転手がいきなり激昂しています。
何があったのか?と聞くと
「アメリカがイラクに攻撃を始めた」とのことです。
運転手は私に聞いてきます。
「日本はアメリカに戦争協力をしているというがどうなんだ」
へたをすると車から放り出されかねないような勢いです。
でも、それを執り成してくれたのが彼ら3人です。
この3人とはイランのバス停であったときからアメリカの進攻などについていろんな話をしていたというのもあって、運ちゃんも矛を収めてくれました。

旅を通じていつも心がけていましたが、周囲の人とキチンと話をしておくのは大事だなと思いました。
何か危ない状況になっても、お互いに思うことを打ち明けあった人が周りにいれば何とかなることもありますから。

この3人組、いろいろ話をしているうちにわかったのですが、イラクの大学で研究をしていたとのこと。
やっぱり今回の戦争でパキスタンに帰ってきたという話です。
きれいな英語をしゃべり、持ち物も明らかに高級品。
かなりエリートなのかな?と思って研究の専攻はと聞くと・・・
”atomic physics”とのこと
聞くんじゃなかった。
直訳すると原子物理学・・・・・
聞き間違いだと思います。いや、聞き間違いであってくれと思いました。

国境を越え、パキスタンに入った後も同じバスでクエッタまで同行しました。
途中、飯をご馳走になったりもしました。
悪いからお金を払うと言ったんですが、そのときの彼らの言葉が良かったです。
「ここはパキスタンだよ。そして君は日本人だ。だから君は僕らのゲストなんだ。
だからここでお金の心配はしないで」
これまでの旅でも、この後も、何度もご馳走していただいたり、好意をいただくことはありましたが、最高に素敵な好意でした。
静かに、ゆっくりと言われた言葉でした。
その国に入ったときの印象でその国を好きになるかは大体決まります。
この人たちと出会えたことで、僕はパキスタンが好きになりました。
素敵な思いをして入った国では、もっと素敵なことが待っている。
そういっても過言ではありません。
クエッタに着いたら名前も告げずに3人は彼らの目的地、イスラマバードに出発してしまいました。


一人になったクエッタで目に飛び込んできたのが目にしみるような色彩のトラック

日本のデコトラもびっくりの装飾です。
このトラックがパキスタンの物流を支えています。
そして今も数多くの救援物資を載せた、こんなトラックが道を行き来しているはずです。
ここ数日、救援物資が強奪にあっているというニュースを目にします。
パキスタンを旅した私が受けた印象は
「そんなに追い詰められるほど、状況はひどいのか」
ということです。
震源に近い山々の人々は決して金銭的には豊かではありませんが、やさしく、思いやりを持った態度で私に接してくれました。

その人々が強奪をしている。
今はともかく、緊急援助が必要です。
協力をお願いします。


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