ラマダンについて2005年08月20日 11時41分41秒

イスラムを語る際に良く用いられるのが、豚肉の禁食とラマダン(断食月)
断食はについて書いて見ます。

よく勘違いされるのが、「期間中スーッと食べない」と考えちゃうこと
断食といっても日が昇る2時間ぐらい前から日没までです。
但し、飲食のみならずつばを飲み込むのよしとはされないため大変厳しいです。

もちろんいろんな事情でできない人は行わなくても良いとなっていますが、後日断食をしたり埋め合わせをする形になってます。

まあここであんまり詳しくラマダンと断食について話すのは何なので詳しくはこちらを参照ください
ラマダンの詳細 (イスラミックセンター・ジャパンさんのページ)

で、実際どうなのよ!というと
正直、上記リンクの内容はかなり厳密ですね。
地域差というか都市化というか、宗教に対する考えというか地域や人でかなりばらついてます。
シリアのデリゾールなどという田舎のほうに行くと、飯屋はおろか食料品店すらやってません。
一方、ラタキアというキリスト教徒が多いといわれてる街では、マクハ(お茶屋さん)は開いてるし、飯屋もある程度は開いてます。



これはラタキアのファラフェルサンド屋
(豆コロッケのサンドイッチ屋さん。
開いてます。開いてますがなんかおかしい。
窓を見ると何故か新聞が張ってあります。
これは道行く人から見えないようにするための覆いだそうです。でも何で新聞紙?
ここラタキアでは結構高そうなレストランでも新聞紙の覆いが多かったです。
まあ、地域的に新聞紙が開いてる目印になっているのかもしれませんがちょっと面白かったです。

でも、イスラム教徒でこの断食を一切やらない人はあんまりいないようですね。
みんな断食はつらいけどいいことだと考えているようです。
実は旅で出会った現地の人に断食を勧められました。
「僕は日本人でイスラム教徒でもありませんが?」というとその人は
「断食をしてごらん。すればいつでも飲める、食べれるというありがたさを感じることができるんだよ。それとともに貧しくて食べ物や飲み物を買うことができない人たちのことも考えられるだろう?宗教は関係ないよ」
といわれました。
ええ、やりましたとも(われながら単純ですが)
そして10日で挫折
もちろんつばを飲みこまないなんて厳密なものはハナッカラできるわけありません。
ただ、現地の人と一緒に、日没の合図を待っている間になんとなく、イスラムの持つ豊かさを感じることができました。
どんなに貧しくとも、日没の合図後、簡単なお祈りの言葉をしてみながイフタールという食事を取ることができるのです。
貧しいものの食事は富めるものが喜捨するのです。

みんなで断食をして、みんなでイフタールを迎える
非常にいい経験でした。