トルコの旅 イスタンブール再々-72007年01月08日 12時21分10秒

スルタンアフメットジャミイを出ると正面に見えるのが“アヤソフィア”です。



ともに一時期はモスクとして使用されてい両者ですが、歴史的に見ると全く対極にあるともいえます。



こっちは別の日に撮影したスルタンアフメットジャミイ。
雪の中に佇むさまはまさに“ブルーモスク”という別称にふさわしいです。



さて振り返ってアヤソフィアですが、この建造物が最もブルーモスクと異なるのはもとからのモスクではないという点です。
ブルーモスクはスルタンアフメットの命で立てられた生粋のモスクであるのに対してアヤソフィアは違うのです。
アヤソフィアの本来の名前は“ハギア・ソフィア”。
もともとはギリシャ正教の大本山として立てられた建物なのです。
もともとの協会は西暦360年に建てられましたが消失を繰り返し、現在残っているのは西暦540年代に立てられたものです。
この大きなドームは当時最大の建物だったそうです。
1453年のコンスタンティノープル陥落(今のイスタンブール)により、キリスト教圏からイスラム教圏へ変わり、教会ではなくモスクとして用いられるようになりました。

20世紀の調査により漆喰の下にキリストや聖母のモザイクが見つかって以降、修復・復元作業を経て現在は博物館となっています。

このように元はキリスト教の教会をモスクにした例はいろんな地域で見ることが出来ます。
シリアにあるウマイヤド・モスクはイスラム第4の聖地であり、元は聖ヨハネ教会です。
ボスラ遺跡にもそんなものが有った気がします。
島国日本では思いもつかないような奪い奪われる歴史がここにはあります。
 
次はアヤソフィアの内部を紹介

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