“かもされ”ました2006年12月23日 18時31分38秒

出ると聞いた瞬間から即買い体勢に入った「もやしもん 第4巻“限定版”@1680円」
どれぐらいの数が出るのか、販売ルートはどうなのかなかなか情報が伝わってこないため振り回されましたがようやく某通販でGET!

漫画一冊に2,000円近くの金を払うのもドーヨとは思うのですが・・・
こいつらが付いて来るとなったら仕方がない。

海洋堂謹製 限定 菌ストラップ(5種6体)




こいつは“オリゼー(大)”いわゆる黄色麹カビです。
いや、もう漫画クリソツ。

同じく購入したクラスメイトはこのひ弱な手に“くらくら”と萌えとりました。


 
こっちは”トリコイデス” いわゆる黒かび。
なんかこいつは目がはっきりしていて劇中でも大のお気に入り。



こっちは“クリソゲヌム”青カビと“オリゼー(小)。

あまりの出来のよさに箱を空けてから笑いが止まりません。
問題はどこで使うか。
コレクター気質は少ないので買った以上使いたのですが・・・
難しい。




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トルコの旅 イスタンブール再々-2 犠牲祭12006年12月23日 22時18分20秒

すぐにでもこの記事を書こうとしていたのですが諸事情が生じて遅くなりました。
ブログへの掲載画像は某フリーのフォトアルバムに乗っけたものを使っているのですが、この記事用の写真をアップロードしたら管理人さんから怒られちゃいました。

大幅な脚色加えて再現すると・・・
「てめえ、ゴラっふざけた画像のっけてんじゃねーぞ!
  とりあえず他のユーザー様から見えねえように蓋したが
   続けるようなら、(アカウントを)殺して(これまでの画像)海に流すぞ!!」
なんて感じです。(注 上記表現は洒落です)

まあ、一般的な対応かな?というわけで管理者にも詫びを入れ、自分のHPスペースに画像を入れなおして記事を書いているわけです。

というわけで今回の記事は某管理人公認過激画像掲載?となる訳ですな。


で、何の話なの?というと表題のように犠牲祭に参加したときのお話なんです。
まあ今回の記事では犠牲祭とはなんなの説明をしていきたいと思います。

●来歴
コーラン(クルアーン)にはこのような故事が伝えられています。
その昔、子宝に恵まれなかったイブラヒームは、やっと息子イスマイールを授かりました。
その子がかわいい少年になった時、神は「息子の命を私への信仰の証としてささげなさい」と命じます。
イブラヒームは苦悩し、息子イスマイールとともに決断します。神に言われたとおりに従おうと。
父が息子を今しも犠牲にしようとしたその時、イブラヒーム親子の揺るぎない信仰心を確認したアッラーから遣わされた天使により、イスマイールは助命され、そのかわりに子羊が生贄にされたという事です。
 
この故事を基に犠牲祭は行われています。

●何をささげるの?
お国柄により違います。
故事では羊になっていますが、その他にヤギ、牛、らくだなどが献げられます。
トルコでは羊と牛がほとんどのようです。
ささげる供物もこの故事より愛情を注いで育てたものの方がよりよいとされ、手塩にかけた家畜がささげられます。
また買った家畜の場合でも数日でも自分たちで給餌を行い世話をして情を移したほうが良いそうです。

●ささげられた供物はどうなるの?
三分の一を自分達家族で食べ
三分の一を親類や友人に分け
そして三分の一は供物となる家畜を買う事のできなかった貧しい人と分け合います。
トルコでは供物の皮を国家が集めてその収益を福祉に役立てるというような話も聞きました。

だから、この日は貧しい人も豊かな人も皆そろってお肉を食べれる日でもあります。
トルコにいるときにお世話になった人は、
「みんな仲間外れなくお肉の日、それだけでも素敵でしょ?」
故事も宗教も吹っ飛ばして素敵にたとえてくれました。
 日本ではあまり理解されていませんがイスラム教は本来優しい宗教です。
 宗教で富めるものの義務としての救済を定義しているのは本当に少ないんです。
 (お布施の定義をしている宗教はたくさんありますがね・・・)
まあ、そんなお肉の日です。

●誰がささげるの?
本来は家長が行うのですが、昨今は専門の職人さんが行います。
(しかし必ず家長は屠る現場で供物を押えるなどの仕事をします)

場所も自宅の前で行うのが普通ですが、イスタンブールなどではモスクに付属した屠場で行われるようになりました。
以前は犠牲祭の日になると街のあちこちから鳴き声が起こったとのこと。

こんな犠牲祭に自分も参加させていただきました。
(フルコースです : ささげる所から頂く所まで)


  (プライバシー保護のため顏はぼかしています)
ババ(お父さんというトルコ語)が誇らしげです。
ムスリムにとってバイラム(トルコ語の犠牲祭)が出来るということは誇らしいことでもあるのです。
二人が牛を引っ張ってくる光景を見たときには“ドナドナ”が脳内BGMでした。
(いや、だって子牛だし・・・)

長くなったので続きは次回に。





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子牛→ ドナドナ→ バイラム→

トルコの旅 イスタンブール再々-3 犠牲祭22006年12月24日 14時40分39秒

今日の記事のリンク先には過激な描写・画像が含まれています。
ぶっちゃけて言うと屠殺の写真ですから、こういったものに弱い人はくれぐれも開けないでくださいね。
あくまでも見る見ないは自己責任ということでお願いします。
(自分でクリックしてみた上で文句言ってきてもきかへんもんね!)
某フォトアルバム管理人お墨付の過激画像ですから注意してね。

さて、具体的なバイラム(犠牲祭)の手順について少しだけ話していきます。
イスラム教には“ハラル”という許可された食品という考え方があります。
一方でその逆、食べてはいけないものがハラム。
ハラムで有名なものでは豚肉がありますね。
しかし肉の種類だけではなく精肉にいたる過程についても定められています。
ハラム(許可されない食物)の例としては豚肉以外に 
  血液とその副産物
  肉食動物
  爬虫類と昆虫類
  イスラーム法に従って屠殺されていない動物
  神ではない名により屠殺された動物
  動物の死体、屠殺される前に死んだ動物
このため、犠牲祭でささげられる供物も普段の食肉になる家畜の屠殺方も同じく定められています。

以下は屠場での写真です。
屠られる前の写真ですので掲載します。



注意:この後のリンク先の写真には流血等のなれない方には“過激”な写真が貼られています。
 くれぐれもご理解の上、自己の責任においてリンクを踏んで下さい。

寝かせられた牛を暴れないように押え、
"Bismillah Allah-u-Akbar"
と神の名を唱えながら頚部にナイフを入れ気管、頚動脈を切ります。

激しく暴れた後、牛は絶命します。
“流血写真1 注意!”

そのまましばし、放血が終了するまで待ちます。
“流血写真2 注意! 特に過激”

放血が終了したら丁寧に皮を剥いでいきます。
この皮は国家に託され革製品に加工され最終的な収益は福祉に用いられるとのこと。
このため皮に傷をつけないように丁寧な処理を行うそうです。
“流血写真3 注意! 特に過激”

その後、内蔵を出され枝肉として切り分けられて、供物をした家主に渡されます。
“流血写真4 注意! 微妙に過激”

これを家に持ち帰った後も作業は続きます。
写真4を見た方はお分かりでしょうがこのままでは大きすぎるため精肉して使い易いサイズに切り分けます。
これは私ら客人も行いました。



初めての経験に悪戦苦闘しながらも何とか精肉を終了したころ、お母さんの手料理が振舞われました。
もちろんお肉は先ほどささげたもの。
常識的に屠ったばかりの肉は固く食べにくいものですが、ありがたく戴きました。
命を喰らうということを実感した体験でした。


正直に言ってしまえば、牛を屠るという行為はあまり気持ちのいいものではありません。
牛も暴れますし、断末魔の鳴声は今も残っています。
でも、スーパーに並んでいるお肉は全て同じような経緯をたどっているわけです。
そういう意味でも経験しておいてよかったなと考えています。
 「自らが殺した獣でない
   殺されるところを見ていない
     自分に供するために殺したと聞いていない」
スーパーに並んだお肉を仏教で言うところの“三種の浄肉”的な発想で扱ってはいけないような気がします。
(この三種の浄肉、釈迦の時代の本来の意味とは違って今の日本では生臭坊主の言い訳にしかなってませんね)

聖夜にえらい生臭い話だなと思われるかもしれませんが、私的にはふさわしい記事なのでは?と考えています。


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デモ→ お肉は→ 美味しいよ→

トルコの旅 イスタンブール再々-4 スーフィー2006年12月25日 22時13分27秒

クリスマスを迎えたわけですが、浮いた話などありゃしない“たまご”です。
さて、前回の血生ぐらい聖夜の記事からうって変わって今夜はきれいなものをお届けします。

とはいっても実は1回すでに紹介した記事の焼き直し・・・
“過去の紹介記事”
スーフィーの紹介をもう少し詳しく行っていきます。


2003年2月末、雪ふるイスタンブールで向かったのはメブラーナ博物館です。
ここでは月に数回、博物館付属音楽学校の生徒によるセマー(旋舞)を見ることが出来ます。
大変人気のある催しなので観光シーズンにはチケットの入手も一苦労です。
まあ、2月のオフシーズンでしたので数日前でも簡単にチケットを入手することが出来ました。
(オフシーズンとはいえ前日には全てのチケットは売り切れだそうです)
少し早めについてよい場所を確保してしばらくたったころ、こんな言葉とともに催しは始まりました。

「Come,come,whoever you are
 wanderer,worshipper,lover of learning
 it does not matter,
 Ours is not a caravan of despair.
 Come,even if you have broken your vow
 a thousand times
 Come come,yet again come」

「来たれ、来たれ、我がもとへ
 さすらう人も、迷い人も、求道者でも
 かまわないから。
 我々は絶望しない者の集いだ。
 今まで千回も誓いを破った人も、
 来たれ、来たれ、何度でも」
 
イスラム神秘主義の一派メブラーナ教団を組織し指導したルーミー師の言葉です。
(日本語訳は“たまご”)

凛と通る声でこの言葉を紹介されたあと楽曲の演奏が始まります。
この教団独特のスーフィー音楽の演奏会の後、静にセマー(旋舞)が始まります。



黒いマントとのっぽの帽子を纏った一団がすべるように会場に入ってきます。
先頭にいる師らしき人がメッカの方向に祈りをささげた後、師以外の人々がいっせいに黒いマントを脱ぎ捨てます。
マントの下から色鮮やかな衣装があらわれ、1人ずつ一礼した後セマーが始まるのです。



音楽に合わせ回りはじめるのです。
くるくるとすべるように淀むことなく
回り続けていきます。



回り続けることで神との一体化をしようというスーフィー。
その中でも最も完成された形といわれるのがメブラーナのセマーです。
回る人の手を見てください。
ブレのためわかり難くなっていますが、片方の手は手のひらを上に、もう片方は下に向けられています。

天と地をあらわすものです。

まだまだ伝えたいことはあるので次回もこの話。




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スーフィー→ 回る?→ クルクル→

古典を読む 難経12006年12月26日 16時18分56秒

夏前からコツコツやってきたことに古典を読むというのがあります。
読んでいたいのは「難経」という書物。
東洋医学の分野の方ならば一度は目を通したことがあるのではないでしょうか。
少なくともこの書物の名を知らない鍼灸師はいないはずです。

この本が成ったのは漢の時代(紀元25~210年)といわれていますので約1800~2000年前に成立した書物であることになります。
ただし、戦乱の激しい中国でのことですからこの当時のものは残っていません。
今伝わるのは様々な医家による注釈が加えた物です。
よく読まれているものとしては
「難経本義」 滑寿(滑伯仁) 1341年
「難経集注」 王九思(王惟一?) 1505年ごろ
事実上難経本義が難経のスタンダードと思われます。
日本でも様々な訳本、解釈本が出されていますが、底本として採用してるのは難経本義が多いです。



こちらが難経本義の書面。
はっきり行って無理な感じです。
いや、無理ムリむり!
こんなもんを読もうという気にはなりはしません。
っていうか読めません。

まあ、このページで実際の難経の本文は「一難曰・・・」より始まる太文字の部分のみで後はその解説なんですが・・・
それにしてもハードルが高い!ということで実際に私が難経を読む際の底本としたのは2冊。
 難経解説 東洋学術出版社
 難経入門 遠藤了一 オリエント出版社
これらの本と照らし合わせながら読んでいきました。

あと中盤以降は以下の写真の本も参考にして読んでいます。



 難経集注
非常によく出来た私向きの本なので是非入手しようと神田の専門店に注文を出したのですが・・・・一ヵ月後に入手不能とのお話  (T_T)
どなたか余分に持っていません?
譲って下さい、お願いします、いや本当に。

まあともかくこのような本の他に学校の図書室の蔵書を駆使して読んでいったわけです。
最初はただ読もうとしたのですが、訳がわからなくなり挫折。
結局、原文(白文に句読点のみ)をノートに写して、一個一個漢字の意味を調べ、参考書の解釈を見てみたりして一文ずつ訳しながら読んでいきました。
本当に気の遠くなるような作業で何度投げ出そうかと思ったのですが、それは神の采配。
ちょうど飽きかけた頃に認定試験とか期末試験が入ってきて試験から逃げる言い訳として難経を読むことで継続することが出来ました。
「要は難経やってりゃ試験勉強はしなくてもOKという自分ルールを作成」
(自分は本当に試験勉強が嫌いらしく、試験前は通常時の約三倍のペースで読み進んでいました。 いわばシャア状態?)
しかしながら初めての古典は本当に難しく、当初目標では秋には終わるはずだったのですが結局昨日に全八十一難を写し・読み終わりました。
(決して理解したわけでも覚えたわけでもありません)

そんなわけでこれまで読んだ八十一難のうち面白かったり心に残った「難」を簡単に紹介して行きたいと考えています。

取り合えず一発目は「一難」でも「六十九難」でもなく「七十七難」。
あまり解説書でも大きく取り上げることのない難ですがここからはじめて行きたいと思っています。
乞ご期待?



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今週の昼飯風景 12-42006年12月27日 15時54分39秒

我が腹を満たしてくれたお昼ご飯。
とはいっても年末進行で外食したのは月曜日、つまりはクリスマスのみ。

とはいっても行ったのは十八番ですからイベント的な要素はかけらもない。



いつもどおりのサービスメニュー、その中からまたもや“タンメン”。
お決まりといえばお決まりのメニューです。

まあクリスマスだからというのではないのですがこの日はもう一品つけました。
(朝飯くいっぱぐれて腹ペコだったんです)



半チャーハン。
ランチタイムのサービスとはいえ結構ボリュームあります。
美味しいのですが心なし油が勝ってしまった味付けでした。
八丁堀界隈のお店の皆様今年一年お世話になりました。
来年もよろしく。


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トルコの旅 イスタンブール再々-5 スーフィー22006年12月28日 22時06分46秒

スーフィーの続きです。

会場では総勢十数名の舞者が踊り続けています。
ちょうどこのホールの2階部分のテラスに楽団がいるのですが、次第に音楽が耳に入らないような状態になってきました。
音楽はなっているんですが妙に静かなんです。
多彩な色彩をもって回り続ける彼ら(彼女ら)を見るうちにこっちも引き込まれてしまったようです。



細かく見ていけば各自で回転する速度は違うし、明らかに技量も異なっています。
でもそんなことも徐々に気にならなくなってくるんです。
もうこれだけの長時間回り続けるとこ自体がスゴイですから。



やがて旋舞も終わりに近づいていきます。
唐突に切れるような印象で旋舞は終了し、気がついたら音楽も消えていました。
いきなり会場は静寂に包まれ、あっけに取られている間にセマーの舞者は入場時の黒いマントを身に纏っています。



そして舞をした同士、一礼を交わし言葉もなく衣擦れの音だけを残して舞者が出て行きセマーは終了するのです。
もしもイスタンブールに行くことがあったら是非見てみてください。
出来れば夏よりは冬のほうがいいような気がします。静寂さが違いますので。
ただ、冬の場合には心底体が冷えますので、ロカンタでスープを飲んでから帰路につくことを勧めます。
ほんとに、いいよ。



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ハッジ(大巡礼)始まる2006年12月29日 21時04分46秒

今年もイスラム教徒にとっても最も大切な行事であるハッジ(大巡礼)が聖地メッカで始まったようです。

巡礼月(イスラーム暦の12月)の8日に始まるの巡礼を最も特徴付けるものとしてイフラームと呼ばれる衣装があります。
イフラームは2枚の白い布で出来た衣装で、大巡礼に参加するすべての男性信者はこれを着用します。
「神の前においては皆等しく平等である」
を体現する衣装であるため、一切の装飾品の着用は許されていません。

現地時間の12月28日に始まった大巡礼はメッカから近くの町のミナーへ移動し、アラファト山へ登り日没を待つ。
その後、ムズダリファを経てミナーへ戻り、巡礼月の10日にはジャマラートの投石の儀式を行う。
この後に犠牲の供物をささげるのですが、これが実は以前紹介した犠牲祭なんです。
 犠牲祭の様子→”犠牲祭1”    ”犠牲祭2”

今年の犠牲祭はサウジアラビア政府の発表では12月30日。
この年末は私の旅した彼の地もにぎやかな年末になるようです。

ちなみにこのハッジ(大巡礼)毎年200万人近くの人が訪れるそうですが、参加しているのは希望者のうち極僅かの人たちのみ。
行こうと思っても大体7~8年は待たなくてはならないようです。
ちなみに聖地メッカは街自体が聖地のため外国人は巡礼ビザを持っていないとカアバ神殿はおろか街のそばにも寄れないそうです。
もちろん巡礼ビザはイスラム教徒オンリー。
一般的な日本人には遠い遠い話です。


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メッカ→ 本当は→ マッカ?→

年末買出し 兼 散歩2006年12月30日 14時47分28秒

「ちょっと買い物行ってこんかい、ゴラッ!」
ということで家電買出しに出かけることに。
ネット検索の結果、千葉のヨドバシに在庫があるのでそちらへ。

休みに入って少し歩いていないので折角だから歩く。
(寄道無しで約80分ほど)

以前、“こちらの記事”で書いた機関車が復活していたのと天気がいいので一枚。



きれいに復活しています。
以前傷んでいた部分も再塗装がされているようです。
何十年かぶりに運転台にあがろうかなと思ったのですが・・・
小さな子らに交じってあがるわけにもいかず・・・いや変態っぽいし。
甥っ子が遊びに来たときの楽しみにしておこうと思います。



本当にきれいな冬晴れ。
散歩も気持ちよく出来ます。
ここいら辺もマンションが立ち並び、こどもの時分とは大きく風景は変わっているんですがねえ。
比較的目にする期会が多いせいかゆっくり考えてみないと変化を見過ごしがちです。

まあ、無事ヨドバシまで着いたは良いのですが、商品を受け取った瞬間に大きく後悔。
荷物、20kg近くあります。
(カタログ重量が16kg)
もちろん帰り道は電車とバスなんですが行きの10倍以上疲れました。

やっと、帰り着いたと思ったら今度はお節関連の買出し指令。
&じいちゃんの墓掃除指令。
墓掃除にいってみたら結構な人出。
年末なのに皆さん感心です。

で、買出しにいったら魚屋にて“お宝発見!!”
本マグロの中落ち(未処理、骨・スジ付き)が大量パック(1kgぐらい)で400円!
速攻で入手し帰宅後に調理開始。
ほとんど中トロ以上の部分の中落ちなので剥いて中落ちの剥身にします。
このときにスプーンを使うのですが、グレープフルーツを食べる用のギザギザスプーンを用いるとスジの部分と身の部分を簡単に分けれるので便利です。
丁寧に処理したらどんぶり一杯分の中落ちが取れました。
こいつは煮きり醤油でさっとあえて寝かしておきます。
(臭みをとってマグロの香りをさらに良くするためですが、少し色は悪くなります)
もちろんスジ部分も捨てません!
マグロのスジは生では硬いのですが、火を通すと本当に柔らかくおいしくなります。
しかもフィッシュコラーゲンの塊です。
しょうが醤油と味醂で煮込んで煮こごり風に仕立てました。

何でこんなお宝があるのかというと・・・年末だから。
年末はマグロの消費量も段違い、しかも良いマグロが大量に消費されます。
こんなときには魚屋さんも忙しくて中落ちを商品の形にまでもっていく暇がないんですね。
というわけで年末は結構良い物を入手することが出来たりします。
ちなみにこの中落ち、親子三人でタップリ食べても、まだあまるほどの量がありました。



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ヨドバシ→ 何を→ 買ったの?→

年の瀬のご挨拶2006年12月31日 15時22分49秒

今年も一年がすぎようとしています。
なんとなく、年々早くなる一方の一年です。

来年は2月に国家試験も控えています。
まああまり無理をするようなことでもありませんが、きちんとがんばりたいと思っています。

自分には目標としていたいくつかのことをやり遂げれたという意味ではよい一年でした。
また来年も良い年になるようやって行きたいと考えています。
皆様、良いお年を!




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皆様→ 良い→ 年の瀬を!→