トルコの旅 イスタンブール再々-3 犠牲祭2 ― 2006年12月24日 14時40分39秒
今日の記事のリンク先には過激な描写・画像が含まれています。
ぶっちゃけて言うと屠殺の写真ですから、こういったものに弱い人はくれぐれも開けないでくださいね。
あくまでも見る見ないは自己責任ということでお願いします。
(自分でクリックしてみた上で文句言ってきてもきかへんもんね!)
某フォトアルバム管理人お墨付の過激画像ですから注意してね。
さて、具体的なバイラム(犠牲祭)の手順について少しだけ話していきます。
イスラム教には“ハラル”という許可された食品という考え方があります。
一方でその逆、食べてはいけないものがハラム。
ハラムで有名なものでは豚肉がありますね。
しかし肉の種類だけではなく精肉にいたる過程についても定められています。
ハラム(許可されない食物)の例としては豚肉以外に
血液とその副産物
肉食動物
爬虫類と昆虫類
イスラーム法に従って屠殺されていない動物
神ではない名により屠殺された動物
動物の死体、屠殺される前に死んだ動物
このため、犠牲祭でささげられる供物も普段の食肉になる家畜の屠殺方も同じく定められています。
以下は屠場での写真です。
屠られる前の写真ですので掲載します。
注意:この後のリンク先の写真には流血等のなれない方には“過激”な写真が貼られています。
くれぐれもご理解の上、自己の責任においてリンクを踏んで下さい。
寝かせられた牛を暴れないように押え、
"Bismillah Allah-u-Akbar"
と神の名を唱えながら頚部にナイフを入れ気管、頚動脈を切ります。
激しく暴れた後、牛は絶命します。
→“流血写真1 注意!”
そのまましばし、放血が終了するまで待ちます。
→“流血写真2 注意! 特に過激”
放血が終了したら丁寧に皮を剥いでいきます。
この皮は国家に託され革製品に加工され最終的な収益は福祉に用いられるとのこと。
このため皮に傷をつけないように丁寧な処理を行うそうです。
→“流血写真3 注意! 特に過激”
その後、内蔵を出され枝肉として切り分けられて、供物をした家主に渡されます。
→“流血写真4 注意! 微妙に過激”
これを家に持ち帰った後も作業は続きます。
写真4を見た方はお分かりでしょうがこのままでは大きすぎるため精肉して使い易いサイズに切り分けます。
これは私ら客人も行いました。
初めての経験に悪戦苦闘しながらも何とか精肉を終了したころ、お母さんの手料理が振舞われました。
もちろんお肉は先ほどささげたもの。
常識的に屠ったばかりの肉は固く食べにくいものですが、ありがたく戴きました。
命を喰らうということを実感した体験でした。
正直に言ってしまえば、牛を屠るという行為はあまり気持ちのいいものではありません。
牛も暴れますし、断末魔の鳴声は今も残っています。
でも、スーパーに並んでいるお肉は全て同じような経緯をたどっているわけです。
そういう意味でも経験しておいてよかったなと考えています。
「自らが殺した獣でない
殺されるところを見ていない
自分に供するために殺したと聞いていない」
スーパーに並んだお肉を仏教で言うところの“三種の浄肉”的な発想で扱ってはいけないような気がします。
(この三種の浄肉、釈迦の時代の本来の意味とは違って今の日本では生臭坊主の言い訳にしかなってませんね)
聖夜にえらい生臭い話だなと思われるかもしれませんが、私的にはふさわしい記事なのでは?と考えています。
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デモ→ お肉は→ 美味しいよ→
ぶっちゃけて言うと屠殺の写真ですから、こういったものに弱い人はくれぐれも開けないでくださいね。
あくまでも見る見ないは自己責任ということでお願いします。
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某フォトアルバム管理人お墨付の過激画像ですから注意してね。
さて、具体的なバイラム(犠牲祭)の手順について少しだけ話していきます。
イスラム教には“ハラル”という許可された食品という考え方があります。
一方でその逆、食べてはいけないものがハラム。
ハラムで有名なものでは豚肉がありますね。
しかし肉の種類だけではなく精肉にいたる過程についても定められています。
ハラム(許可されない食物)の例としては豚肉以外に
血液とその副産物
肉食動物
爬虫類と昆虫類
イスラーム法に従って屠殺されていない動物
神ではない名により屠殺された動物
動物の死体、屠殺される前に死んだ動物
このため、犠牲祭でささげられる供物も普段の食肉になる家畜の屠殺方も同じく定められています。
以下は屠場での写真です。
屠られる前の写真ですので掲載します。
注意:この後のリンク先の写真には流血等のなれない方には“過激”な写真が貼られています。
くれぐれもご理解の上、自己の責任においてリンクを踏んで下さい。
寝かせられた牛を暴れないように押え、
"Bismillah Allah-u-Akbar"
と神の名を唱えながら頚部にナイフを入れ気管、頚動脈を切ります。
激しく暴れた後、牛は絶命します。
→“流血写真1 注意!”
そのまましばし、放血が終了するまで待ちます。
→“流血写真2 注意! 特に過激”
放血が終了したら丁寧に皮を剥いでいきます。
この皮は国家に託され革製品に加工され最終的な収益は福祉に用いられるとのこと。
このため皮に傷をつけないように丁寧な処理を行うそうです。
→“流血写真3 注意! 特に過激”
その後、内蔵を出され枝肉として切り分けられて、供物をした家主に渡されます。
→“流血写真4 注意! 微妙に過激”
これを家に持ち帰った後も作業は続きます。
写真4を見た方はお分かりでしょうがこのままでは大きすぎるため精肉して使い易いサイズに切り分けます。
これは私ら客人も行いました。
初めての経験に悪戦苦闘しながらも何とか精肉を終了したころ、お母さんの手料理が振舞われました。
もちろんお肉は先ほどささげたもの。
常識的に屠ったばかりの肉は固く食べにくいものですが、ありがたく戴きました。
命を喰らうということを実感した体験でした。
正直に言ってしまえば、牛を屠るという行為はあまり気持ちのいいものではありません。
牛も暴れますし、断末魔の鳴声は今も残っています。
でも、スーパーに並んでいるお肉は全て同じような経緯をたどっているわけです。
そういう意味でも経験しておいてよかったなと考えています。
「自らが殺した獣でない
殺されるところを見ていない
自分に供するために殺したと聞いていない」
スーパーに並んだお肉を仏教で言うところの“三種の浄肉”的な発想で扱ってはいけないような気がします。
(この三種の浄肉、釈迦の時代の本来の意味とは違って今の日本では生臭坊主の言い訳にしかなってませんね)
聖夜にえらい生臭い話だなと思われるかもしれませんが、私的にはふさわしい記事なのでは?と考えています。
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