アフガニスタン カブールの旅12009年03月03日 03時02分54秒

エアコンなどトウの昔に飾りとなったタクシーで
窓を全開にしていたら埃と汗で髪の毛を真っ白に・・・・
まあ何とか国境を越えてアフガニスタンのカブールへ着きました。

安宿にチェックインしてハマム(公衆浴場)で埃を落とします。
ハマムといってもイスタンブールの蒸し風呂とは異なります。
いわゆるコインシャワーのようなものですが気持ちよかったですね。
一回使いきりのシャンプーや石鹸が売られていてありがたかったです。

一息ついたら街に出かけます。



これはカブールの繁華街の広場のようなところ。
ものすごく大勢の人がいました。
「チェンジマニ?チェンジマニ?」
と両替屋さんの声が響いてました。
両替しようとするととんでもない人数が押し寄せてくるので怖いです。




こちらは通称両替ビル
見える限りのビルの部屋に両替屋が軒を連ねているような感じです。

仕事になっているのかいないのか
多くの人が立ち話をしているような感じです。
商売として成り立っているのかな?




これはモスク
最初は米軍の破壊を免れたのかしら?と思ったのですが良く見ると新築。
そばにプレートがあって、トルコの寄付により作られたものらしいです。

きれいなモスクは再建の象徴にも見えますが・・・
周りに残る戦争の痕跡を際立たせているように感じました。

まだもう少しこの街の旅は続きます。


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本を読んだ2009/03暫定2009年03月10日 02時51分37秒

記事がなかなか書けないので本の紹介など・・・








書評は次の時にでも・・・
もう一度読み直してから・・・


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アフガニスタン カブールの旅22009年03月18日 04時00分27秒

今日ニュースでイラクへの円借款による支援事業の調印式が報道されていました。
まあいわゆるODA(政府開発援助)ですね。
アフガニスタン支援事業もこのような形で行われているものが多いようです。
そのODAが有償資金協力(円借款)であれ無償資金協力であれ現地の人の
明日につながる援助となることを願っています。
”施し”ではなく”援助”として生きるお金として使ってほしいものです。
タイド援助等のようなゼネコンや日本や援助対象国の政治家の私腹を肥やす
ことにのみ使われないことを願います。


ニュースを聞いたときにふとそんなことを考えていました。


さて2003年のアフガニスタンの風景に戻りましょう。



カブールのバスターミナル近くの青空市場。
非常に強い直射日光を浴びて青菜も少ししなびていました。

すぐ横で野菜の泥をバケツの水で落としていましたが・・・
水がすでににごっていて洗ってんだか汚してんだか・・・



こっちは商店街のお茶を中心に扱っていたお店。
よく見るとわかりますが緑茶が並んでいます。
アフガニスタンでは紅茶も飲みますが緑茶の方が比率は高かった気がします。
まあ緑茶といっても店で出てくるのは砂糖とカルダモンの入ったものなんです。
でもまあここで茶葉を買えば日本式の緑茶が飲める!
というわけでおっちゃんにいろいろ話を聞いてみました。
多く並ぶ中で「どれがいいの?」ときくとブラジル産というのを薦めてきました。
中国産じゃなくて?と聞き返すとこっちの方がいいというんですね。
おっちゃんいわく中国産ではダメとのこと。

お勧めのとおり買って宿で淹れたら懐かしいこと懐かしいこと。
もちろん日本の茶葉と異なり茶揉みをされているような気配は微塵もありません
が長らく日本茶に餓えた舌には美味しく感じました。

(実はこの茶葉、最終的に日本に持って帰ってきたのですが普通に飲めました)



サモサ屋のお兄ちゃん
サモサとは春巻きの皮のように薄く延ばした小麦粉の生地でマッシュポテトや
ねぎを包んで三角形にして揚げたものです。
チリソースにつけていただくのですが揚げたてが結構美味しくよく食べてました。

日本に戻ってきてもインド料理屋などでつい頼んでますね。
そういえば去年桜の時期には千鳥ヶ淵インド大使館跡に屋台が出ていて夜中
の3時過ぎにサモサで一杯いったけな。
今年もやっているといいのですがどうでしょうね。




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アフガニスタン カブールの旅32009年03月20日 03時09分44秒

今回は一枚のみ



カブールのチキンストリートと呼ばれる通りで見つけたマットです。
2003年当時とはいえ見つけたときは結構びっくりしましたね。
だってこの当時は今よりも米軍の締め付けが厳しかったときですからね。

まああまり述べませんが911を根拠に米軍が侵攻したアフガニスタンは
今混迷を極めています。
米国を支持、協力した日本もこの混迷の責任の一端を握っています。

結局今に至るまで本来の911の実行者であったアルカイダの壊滅には
いたらず、疲弊し混迷を極めるアフガニスタンという国だけが残りました。
なんの意味があったのかな。
そう感じてしまいます。



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