アフガニスタン脱出へ向け22010年08月20日 09時10分23秒

さてアフガン脱出の第一歩は空路です

「ナンデ一足飛びに空路で海外まで行かないの?」
と言う疑問もあるでしょう

当時のアフガニスタンは復興途上
国内線ですらやっとの思いでチケットを入手しても
「ひょっとしたら飛ばないからね」
なんて言われるような状態
事実、前日のフライトはキャンセルされていました
航空燃料や整備など様々な問題が山積している状態です
国際線はマトモに動いていません

現在のアリアナ-アフガン航空の運行ですら以下のような状態
 カブール→アンカラ(トルコ首都) 週1便
 カブール→イスタンブール(トルコ) 週2便
国際線を待つよりイランまで脱出してイランからトルコに飛ぶ方を選択

祈るような感じで空港に向かったら飛行機は駐機中

アフガンアリアナ航空


見た瞬間に愕然
これソビエトのツポレフじゃないのかしらと
墜ちそうな予感が満載です

びっくりしたのは飛行機後部のタラップ(軍用機かよ)から乗り込むこと
席について隣のアフガンビジネスマンに聞いたらボーイングだよと
「ソビエトの飛行機じゃ不安で僕も乗りたくないよ」
とおっしゃっていました

帰国後調べたらボーイングの727
機体の高さが低く空港に特別な機材が必要ないことやことや、」飛行機自体が後部にタラップを持っているなどの運用のしやすさからいまだに途上国を中心に飛んでいる機体でした

よほど具合が悪く見えたのか隣のビジネスマンが宿まで車で送迎
宿についたら下痢と発熱でダウン
便の性状からみてもかなりヤバメの感染症
2日ほどダウンして少しでも体力を回復します


体調が少し回復したので国際バスのチケットを買いに町へ
途中、水分と栄養補給のためジュースを買いにいった店でこんな風景が

ヘラート01


北部同盟の将軍マスードの肖像です
ちょっと解らないかもしれませんが写真でも絵でもなく織物です
ものすごく精巧に織られたもの

タリバーンからアフガニスタンを開放した勢力の一つが北部同盟
米国多発テロの2日前、アルカイーダの自爆テロにより暗殺されました

「国を解放したら、国民が信頼できる政治家に後は任せて、大学で建築学を勉強しなおしたい」

ソビエト侵攻に抗戦していたころの言葉ですが人柄がしのばれます
ソ連軍撤退に際しては、その撤退を妨害しないことを約束し、ソビエト軍捕虜の解放も
それが結果的にタリバーンに抗戦する北部同盟へのロシアの支援へつながったとも言われています

旅をしているときはそんな情報は知らなかったのですがあちこちでマスード将軍の肖像を目にしました


これ以降は本当に体調が悪く写真は一切無し
なんで文章での紹介となります



結局次の日のチケットを何とか得てイランに向かいます
ヘラートからマシュハドへ
約10時間のバスの旅
本当に死にそうです
トイレ問題もなんとか振り切ってマシュハドにたどり着きました

熱のためか、ほとんど記憶があいまいになっています
マシュハドでもダウン
1日ぶっ倒れて航空会社を探索
持っていた情報に空路関連のものはなかったはず
ただ空港はあるのでイラン航空のオフィスに行ってチケットを入手

  マシュハド(イラン)→テヘラン(イラン)    国内線
  テヘラン(イラン)→イスタンブール(トルコ) 国際線

と言うチケットを入手できました
いくらだったかは不明・・・本当に記憶にありません
下手すりゃ「カネの切れ目は命の切れ目」かも

這うようにして空港へ向かい搭乗
テヘラン空港でトランジットの5時間をベンチでぶっ倒れながらすごしました
何とかイスタンブールについて速攻で保険会社に電話
お役所的な電話担当とすったもんだをしたうえで病院に駆け込みます


まあ、病院でももうひと波乱もふた波乱もあったりするわけですが


次は病院編




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