ヨルダンの旅 アンマン7 ― 2006年08月20日 04時51分52秒
アンマンの最後はやっぱり“人”
たくさんの人にあったけど2枚だけ印象に残った人の写真を
商店街の秤屋の親父。
なんともいえない、飄々とした表情で迎えてくれました。
観光客が秤なんぞ買うわけ無いのに丁寧に対応してくれました。
まあ、親父の暇つぶしだったのかもしれませんが・・・
こっちはファラフェル屋のおっちゃん。
何のことはない豆コロッケを薄いピタパンのようなもので巻いただけのくいもんなのに作る人によって美味しさが違う。
このおっちゃんは上手な方。
だが、同じ店の親父のほうはもっと美味い。
年季は恐ろしいもんですな。
ちなみに若い兄ちゃんが作るのはまだまだだったりする。
(作るスピードが半端じゃないので写真もブレブレ、でもお気に入り)
最後はアンマンを去る前日の風景。
なんと言うのか青の純度が日本と違う感じです。
次はジェラシュという遺跡にまいります。
ここで、私の賭けの結果が待っております。
たくさんの人にあったけど2枚だけ印象に残った人の写真を
商店街の秤屋の親父。
なんともいえない、飄々とした表情で迎えてくれました。
観光客が秤なんぞ買うわけ無いのに丁寧に対応してくれました。
まあ、親父の暇つぶしだったのかもしれませんが・・・
こっちはファラフェル屋のおっちゃん。
何のことはない豆コロッケを薄いピタパンのようなもので巻いただけのくいもんなのに作る人によって美味しさが違う。
このおっちゃんは上手な方。
だが、同じ店の親父のほうはもっと美味い。
年季は恐ろしいもんですな。
ちなみに若い兄ちゃんが作るのはまだまだだったりする。
(作るスピードが半端じゃないので写真もブレブレ、でもお気に入り)
最後はアンマンを去る前日の風景。
なんと言うのか青の純度が日本と違う感じです。
次はジェラシュという遺跡にまいります。
ここで、私の賭けの結果が待っております。
豚耳?ミミガー?その2 ― 2006年08月20日 20時20分15秒
”こちらの記事”で作り始めた豚耳料理。
続きの話になっています。
前記事では下茹でから本茹でをして、胡麻酢味噌和えを作りました。
(この和え物は我が家の偉い人に接収され町内の飲み会で消費されました)
今回は煮込み(煮こごり)の製作を行ってみました。
下茹でのすんだ豚耳を適当な大きさに切り、日本酒、白だし、オイスターソース醤油、少量の豆板醤、八角で煮込んでいきます。
豚耳が適度な柔らかさになったら豚耳を取り出し汁を煮詰めていきます。
ある程度の粘度になったらみりんを加え照りをだし、取り出しておいた豚耳を加えてひと煮立ち。
適当な耐熱容器に豚耳と煮汁を移したら粗熱を取って冷蔵庫へ。
冷えて固まったら切り出して盛り付けます。
美味しそうに見えませんか?
ハイ、ものすごく美味しいです。
カラシが良く合います。
泡盛にも良く合います。
そういえば初めてミミガーを食べたのは大学時代のことでした。
もう既に十●年前になってしまうのですね・・・・(遠い目)
大学時代は山梨で一人暮らしをしていたのですが帰省は決まって高速バスでした。
甲府から新宿までの高速バス。
特急を使用するよりほんの少し安く上がったのです。
夏休みだったか春休みだったか、実家から山梨に戻ろうと高速バスに乗ったときに沖縄の人たちの旅行グループと相席になることがありました。
そのとき勧めていただいたのがミミガーの煮こごり。
「こっちの人は食わないかもしれないけど、よかったらどうぞ」
そんな風に勧められて断るアホウはいないわけでありがたく頂きました。
人の好い沖縄の人たちと出会えたことで沖縄そのものが好きになったのでしょうか?
その後、折りに触れ沖縄の料理や泡盛をいただくようになりました。
出会いというものは肝心なんだなと今にして思うわけです。
続きの話になっています。
前記事では下茹でから本茹でをして、胡麻酢味噌和えを作りました。
(この和え物は我が家の偉い人に接収され町内の飲み会で消費されました)
今回は煮込み(煮こごり)の製作を行ってみました。
下茹でのすんだ豚耳を適当な大きさに切り、日本酒、白だし、オイスターソース醤油、少量の豆板醤、八角で煮込んでいきます。
豚耳が適度な柔らかさになったら豚耳を取り出し汁を煮詰めていきます。
ある程度の粘度になったらみりんを加え照りをだし、取り出しておいた豚耳を加えてひと煮立ち。
適当な耐熱容器に豚耳と煮汁を移したら粗熱を取って冷蔵庫へ。
冷えて固まったら切り出して盛り付けます。
美味しそうに見えませんか?
ハイ、ものすごく美味しいです。
カラシが良く合います。
泡盛にも良く合います。
そういえば初めてミミガーを食べたのは大学時代のことでした。
もう既に十●年前になってしまうのですね・・・・(遠い目)
大学時代は山梨で一人暮らしをしていたのですが帰省は決まって高速バスでした。
甲府から新宿までの高速バス。
特急を使用するよりほんの少し安く上がったのです。
夏休みだったか春休みだったか、実家から山梨に戻ろうと高速バスに乗ったときに沖縄の人たちの旅行グループと相席になることがありました。
そのとき勧めていただいたのがミミガーの煮こごり。
「こっちの人は食わないかもしれないけど、よかったらどうぞ」
そんな風に勧められて断るアホウはいないわけでありがたく頂きました。
人の好い沖縄の人たちと出会えたことで沖縄そのものが好きになったのでしょうか?
その後、折りに触れ沖縄の料理や泡盛をいただくようになりました。
出会いというものは肝心なんだなと今にして思うわけです。
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