シリアの旅 人の住まぬ街クネイトラ32006年06月14日 20時34分18秒



病院の屋上から見える風景です。
多くの建物の屋根が見えますが違和感があります。
初めは気付かなかったのですが、全ての建物が破壊されています。

ガイド役というか警護の人に聞いてみると
「イスラエル軍が戦争で壊した」
と言っています。
「戦争の空爆で建物を破壊して多くの人間が死んだんだ。あいつらのしたことを見ろ」
少しだけ語気を荒げて語りかけてきます。
でも“たまご”は少しだけ違和感を感じていました。



こちらは倒壊している建物に近づいたときの写真。
この時に違和感の理由がはっきりしました。
病院から見えた“屋根だけ残った建物”の多くは空爆によって壊されたものではなかったのです。
空爆によるEXPLOSION(爆発)ではこのような形で屋根を残すことは難しいはずです。
「ああ、こりゃ戦闘で破壊されたのではなく建物を壊そうとして壊したんだろうな」
と感じましたが、その場でガイド役にその旨を質す事はできませんでした。

宿に帰ってネットで調べてみてわかりました。
私が違和感を感じた建物の多くは、1974年にこの地が返還される折にイスラエル軍により全て破壊されたものだそうです。
以前、15,000人の人が暮らしていた街は廃墟となって返還されたそうです。

「返還される前はイスラエルのものだから壊そうがなにしようがこちらの勝手でしょう」
そういう理屈かもしれませんがなんとなくイスラエル側の悪意を感じるのです。

1974年5月31日に調印された「イスラエル・シリア間兵力引離し協定」にはこんな一文があります。

“2.ラインAの東側領域はシリアの行政下におかれ,シリア住民はこの領域に復帰する。”

住民の復帰を前提とした協定であったにも関わらず、完膚なきまでに街を破壊しつくす。
残念ながらこれがイスラエルの行ったことです。


ただ、一方で今の自分に見えているものが必ずしも真実とは限らないんです。
シリアにはシリアのイスラエルにはイスラエルの言い分があります。
“この街を破壊したのはイスラエルを非難したいシリア側だ”という意見もあったりします。
疑問を持ちながら自分自身で考える。
それしかないのかもしれません。

廃墟の街の旅はまだまだ続きます。

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